【円高の始まり】世界を動かした「プラザ合意」とは何だったのか?



【円高の始まり】世界を動かした「プラザ合意」とは何だったのか?

1985年9月22日、ニューヨークのプラザホテルで開催された一つの国際会議が、世界経済と日本の為替相場に大きなインパクトを与えました。それが「プラザ合意」です。

◆ プラザ合意とは?

プラザ合意は、当時の先進5カ国(アメリカ、日本、西ドイツ、イギリス、フランス)の財務大臣と中央銀行総裁が集まり、ドル高是正を目的として協調介入を行うことを決めた国際的な取り決めです。会議が行われたのがニューヨークのプラザホテルだったため、この名前が付けられました。

◆ なぜドル高が問題だったのか?

1980年代前半、アメリカは巨額の財政赤字と貿易赤字(双子の赤字)を抱えており、それにもかかわらずドルは非常に高い水準で推移していました。これにより、アメリカの輸出産業は競争力を失い、国際的な経済のバランスも崩れていました。

◆ プラザ合意の内容

参加国は、ドルを安くするために為替市場で協調介入を行うことを約束しました。つまり、各国が自国通貨を買い、ドルを売ることで、ドルの価値を意図的に下げたのです。

◆ 日本への影響:円高の急進

この合意により、1ドル=240円台だった為替が、わずか2年で1ドル=120円台にまで急騰。これにより、日本の輸出企業は大打撃を受けました。

しかしその一方で、日本政府は景気を下支えするために低金利政策と公共投資を進めたため、バブル経済が形成されていくことになります。

◆ プラザ合意の教訓

プラザ合意は、各国が協力して為替を動かすことが可能であるという前例を作りましたが、その副作用として急激な円高と日本のバブル経済という課題も生まれました。世界経済の相互依存が深まる中で、国際協調のあり方について改めて考えさせられる出来事でもありました。